本草新編38 人参21 2月 28, 2026 あるいは、傷寒が経絡に伝わり、少陰に入り、脈が微細で絶えそうになり、汗が出て煩躁せず、上は吐き、下はまた下痢し、不治の症であるといわれた。これも人参で救えるのか? 曰く、人参を捨てて他に何で救うのか?ただし、 理中湯 の中に入れ、急いで腎中の陽を固めなければならない。 さもなければ、真陽が乱れ、たちまち奔散し、人参だけに頼っても無益である。 続きを読む
本草新編37 人参20 2月 27, 2026 あるいは傷寒が経を伝わり、 少陰 に入り、手足四逆、悪寒嘔吐、そして身はまた蜷臥し、脈は復た至らず、心煩せずに躁を発す。これは陽は既に外越して陰もまた垂絶するなり。人参を附子の中に用いて、またこれを救うべしや? 曰く: 陰陽両絶 は、もとより救うべからず。然れども人参を附子の中に用いれば、往々にして生きる者あり。蓋し真陰真陽は、最も絶えやすくして最も絶え難し。一線の根あれば、陽を救えば陽は即ち回帰し、陰を救えば陰は即ち続く。真陰真陽はもとより無形にして、有形に比すべからず。寧ろ参、附を用いて無何有の郷に生気を生じ、断じてまず無功と信じて、人参を尽く棄てて用いず、亡魂をして夜に哭かしむべからず。 [傍注:陰陽はもとより根あり、故に一度根を救えば即ち再び活きる。然れども参、附を同用せざれば、実に根を救い難し。] 続きを読む
本草新編36 人参19 2月 26, 2026 あるいは先生に尋ねる。 傷寒の壊症には、特に人参を用いるべし と仰せですが、いかにしてこれを用いるべきか存じません。 夫れ壊症とは、汗すべきにあらずして汗し、吐すべきにあらずして吐し、下すべきにあらずして下すなり。三者ともに胃気を損傷す。 胃気の損傷を救うには、人参にあらずしてまた何をもって功を奏せんや?故に汗すべきにあらずして汗せしめば、必ず人参を用いて汗は初めて収まるなり。吐すべきにあらずして吐せしめば、必ず人参を用いて吐は初めて安んずるなり。下すべきにあらずして下せしめば、必ず人参を用いて下は初めて止まるなり。人参を用いれば危は安に変わり、死は生に変わる。然れどもその分量を多く加えざれば、功力は限りあり、必ずしも汗を失して汗を補い、吐を失して吐を定め、下を失して下を救うべからず。 続きを読む
本草新編35 人参18 2月 25, 2026 あるいは 陽明病 について尋ねる。譫語して潮熱を発し、脈は滑にして疾、明らかに邪気余りあり。 承気湯 を用いても大便なく、脈はかえって微渋にして弱に変わる。邪気盛んにして津液乾くにあらずや?邪気を攻めんとすれば正気益々虚し、正気を補わんとすれば邪気は未だ散ぜず。この際も人参を用いるべしや? ああ!人参を捨ててまた何をもって命を奪うべけんや?ただ人参を用いるも必ず生を保証するにあらず。法は人参一両、大黄一銭を用い、同煎してこれを治す。 大便を得て気が脱落せざる者は即ち生じ、然らざる者はその不死を信じるべからず。 続きを読む
本草新編34 人参17 2月 24, 2026 ある人が尋ねた。傷寒の 煩躁 にも、人参を用いることができるでしょうか。 煩躁は同じではない。下剤を用いた後に煩躁するものと、下剤を用いずに煩躁するものがある。 下剤を用いずに煩躁するものは、邪気が盛んで悪さをしているものであり、決して人参を用いてはならない。 もし下剤を用いた後に煩躁するものは、陰陽が極度に虚しており、心と膻中を養うことができないため、人参を用いる必要がある。ただし、その中で陰虚と陽虚の違いがあるので、区別しなければならない。 陰虚の者は、補陰の中に少量の人参を用いて陰を補うべきであり、陽虚の者は、補陽の中に多量の人参を用いて陽を補うべきである。 では、陰虚と陽虚をどのように見分けるのか。 陰虚の者は、夜に重く、昼に軽い。陽虚の者は、昼に重く、夜に軽い。 続きを読む
本草新編33 人参16 2月 23, 2026 ある人が尋ねた。傷寒の 臓結 (註)にも、人参を用いて救うことができるでしょうか。 ああ!臓結の病は、陰虚が陰邪に感じて起こるもので、もともと死症であり、人参で救えるものではない。しかし、人参を捨てては他に救える薬もない。 人参は上下に通達し、元陽の絶えたものを回復させ、丹田の陰を返すことができる。 全ての人を救って必ず生かすことはできないとしても、死の中から死なないように治療することはできるだろう。 (註)邪気が臓に結滞し、陽虚により陰濁が凝結する。肝、心、肺、脾、腎の五臓の臓結がある。「臓結」とは現代の悪性腫瘍に相当し、「正気不足、臓気虚寒」「陽虚陰盛、臓結難治」「邪盛正衰、予後不良」の意味を持つ。 続きを読む
本草新編32 人参15 2月 22, 2026 ある人が尋ねた。先生は、様々な病気における人参の用法について、詳しくかつ余すところなく説明されていますが、なぜ傷寒症については触れていないのでしょうか。傷寒症には人参は使えないということでしょうか。 答えて曰く、傷寒の虚症には人参を必ず用いるべきであり、壊症にはなおさら人参を用いるべきである。まず虚症について述べよう。例えば、傷寒で脈が浮緊、全身疼痛がある場合、麻黄湯を用いるのが適切である。 しかし、その人の脈が遅く無力である場合は、軽々しく発汗させてはならない。これは、営中の気血が不足しているためである。 気血が不足しているのに、どうして発汗に耐えられるだろうか。 例えるなら、城壁が不十分で、兵器が堅固でなく、食料も少なく、根本が揺らいでいるのに、城を背にして一戦を交えることができるだろうか。必ず自滅するだけである。では、堅守すればよいのか。しかし、賊の勢いが盛んで、戦わなければ包囲を解くことはできない。 やはり麻黄湯を用いるべきだが、人参を多めに加えて補い、元気を充実させ、 何もないところから気血を生み出すことができれば、一戦して勝利することができるだろう。もし人参を少なくして麻黄を多く加えると、元気がすでに虚しており、力不足で耐えられず、これもまた敗北の道である。 続きを読む
本草新編31 人参14 2月 21, 2026 ある人が尋ねた。「人参は君主の薬であり、あらゆる病に用いることができるように思えるが、世の中には人参を用いて過ちを犯す者もおり、人参を用いなければ咎を免れることができるように思える。」 ああ、君主なくして国を治めることはできない。どうして君主なくして病を治めることができようか? 人参はすでに君主の品であるから、攻補薬の中には欠かせないものだ。 世の人は過ちを免れようとして、人参を用いるべき病に一概に用いず、遂には実を攻める力がなく、虚を補う神もなく、多くは救われずに死に至る。これこそ過ちではないか?人参を用いる過ちを避けて、陰報の重きを受けるよりも、人参を用いる過ちを許して、陽律の軽きを受ける方が良い。ましてや、 補の中に人参を用いれば、補はさらに益となる。攻の中に人参を用いれば、攻はさらに傷がない。 続きを読む
本草新編30 人参13 2月 20, 2026 ある人が尋ねた。「人参は陽の薬であるのに、なぜ陰の病に偏って用いられ、しばしば成功するのでしょうか?」先生は言った、「陰は陽なくしては生まれない、その通りだ。しかし、世の人はこれに固執して陰虚の病を治療するが、 時には火がますます盛んになることがある。これは陰虚には人参を用いるべきではないという明らかな証拠ではないか? 古人は『肺熱はさらに肺を傷つける』と言ったが、これは人参が肺の火を助けることができるという意味のようだ。」 曰く、「人参がどうして火を助けることができようか?人参はただ陽気を助けるだけだ。陰陽は気血に分かれるが、実際には気の中にも陰陽がある。陰気は陽気を得て初めて生まれ、陽気は陰気を得て初めて化する。陰陽の相根は、もともと気の中にあるのだ。人参が陽気を助けるのは十のうち七、陰気を助けるのは十のうち三である。補陰薬の中に少量の高麗人参を用いて陽気を生じさせれば、陽が生じて陰はますます盛んになる。もし補陰薬の中に多量の高麗人参を用いて陰気を生じさせれば、陽が生じて陰はますます損なわれる。故に、人参を用いて陰を補う場合は、少量を用いるべきであり、決して全く用いてはならないということではない。」 続きを読む
本草新編29 人参12 2月 19, 2026 またある人が尋ねた。「火を補って土を生じさせれば、土は自ずと崩壊しない。水を補って火を生じさせ、水が氾濫しないようにするのは難しいのではないか?人参を補腎薬と一緒に用いれば、水に克って火を生じさせることができるのか?」と。 答えて曰く、「水は補って水を消すべきであり、水を制御して水を刺激すべきではない。水と火は離れられないものである。火を補って水を補わなければ、火は生じない。 水を補い、さらに火を補えば、水は氾濫しない。 水を補って火を生じさせるというのは、水の中で火を補うことである。人参を加えるのは、人参を補腎薬と併用すれば、人参も腎に入り、陽気が腎内に通じて火がさらに生じやすくなるためである。陰は陽がなければ成長せず、腎水は陽気を得て変化し、腎火は陽気に従って上昇する。しかし、人参は結局のところ脾を健やかにするものであるから、自然と火を腎から引き出して脾に入るだろう。火が脾に入れば、土は自ずと養われる。これは人参が水を助けて火を生じさせるのであって、水に克って土を生じさせるのではない。どうして水を補って水が氾濫することを疑う必要があろうか。 あるいは人参の効用を疑う者もいるが、それは一言では言い尽くせない。君の議論は尽きないが、私は議論が多くて成功が少ないことを恐れる。今の世は、人参を使うことを恐れるか、あるいは人参を乱用するかのどちらかである。恐れて使う弊害は、使うべき時に使わないという憂いがある。乱用する弊害は、使うべきでない時に使うという過ちがあり、この二つはどちらも人を殺すことができる。私が人参の効能を弁論するのは、恐れて使う者の胆力を増すためであり、人参の過ちを弁論するのは、乱用する者の心を誅するためである。しかし、功過を弁論する中で、過ちよりも功績が多いのは、天下万世に人参を善用させたいからである。その功績を言えば、その過ちを知ることができ、その過ちを戒めれば、その功績を収めることができる。 続きを読む
本草新編28 人参11 2月 18, 2026 ある人が尋ねた。「人参は脾土を健やかにして水に克つものだというが、なぜ水湿の病に人参を用いると、かえってむくみがひどくなるのか。これはどういうことか?」と。 答えて曰く、「これは人参が脾土を健やかにしないのではなく、脾土が腎水を制御できないためである。腎水は脾土が盛んになることで、初めて中州に氾濫させないようにできる。土が堅固でないからこそ水が盛んになり、その水を制御するには土を健やかにしなければならない。土を健やかにする薬として人参以外に何を求めるというのか? しかし、 土が堅固でないのは、また火が微弱すぎるためである。 火は水の中にあり、水の外にはない。土を補うには必ず火を補わなければならず、火を補うには水の中で補う必要がある。 [傍注: 腎中の火を補うのは 真火 であり、心中の陽火と誤解してはならない。] では、どのように治療すればよいのか? まず水を補って火を生じさせ、次に火を補って土を生じさせる。 人参を補腎薬の中に用い、速やかに水の中に火を生じさせ、ゆっくりと人参を補腎薬の中に用い、火の中に土を再生させる。そうすれば、自然と腎は水を生じても水は氾濫せず、腎は火を生じても土は崩壊しない。どうして人参を避けてむくみの増加を防ぐ必要があろうか。」 続きを読む
本草新編27 人参10 2月 17, 2026 あるいは人参は気を生じるものであるが、時には気を生じることができず、かえって気を破る、これはどういうことか、と問う。人参は気を生じて気を破らないものである、どうして気を破ることができようか。しかし、時には気を破るように見える病状があり、君の疑いはもっともである。しかし、気を破らないのに時には気を破るように見えるのは、その中に理由がある。 それは肺気が旺盛すぎるためである。肺気が旺盛であれば脾気も旺盛になり、肺気の旺盛は脾気の旺盛によって旺盛になる。人参を用いて気を助ければ、脾はますます旺盛になり、脾が旺盛になれば肺もますます旺盛にならないだろうか。すると咳や脹満の病状が増し、人々は人参が肺気を破ると考えるが、誰も人参が脾気を生じていることに気が付かない。脾はもともと肺を生じるものであり、気を助けて肺の不足を埋めれば、肺は益を受ける。気を助けて肺の過剰を生じさせれば、肺は損害を受ける。しかし、肺気は天下に過剰なものはなく、どうしてその不足を補うのにかえって過剰な現象が現れるのか。 それは 肺の中に邪火があり散じることができないと、肺金の気を補うと、かえってこの肺金は克を受けるのである。 ならば治療法は、その邪火を抑制し、かつその肺気を益すれば、自ずと人参の生を得て、人参の破を得ないだろう。またどうして人参を捨ててむやみに肺気を瀉すことができようか。 [傍注:人参は肺の中の正気を益し、肺の中の邪気を益さない、これも先人が未だ発しなかったことである。] 続きを読む
本草新編26 人参9 2月 16, 2026 ある人が尋ねた。「人参は気を高める薬なのに、今それを喘息を鎮めるために使うのは、また極陰の薬です。先生は人参が腎に入ると言われましたが、それは信じられます。しかし、 なぜ喘息以外では、腎を補うために人参を使えないのでしょうか? 」 曰く、「人参が腎に入るというのは、一時的な便宜的な策であり、中和の道ではない。およそ気が絶えた者は、必ず人参を用いて救うべきである。気が絶えた状態は、緩やかな薬では救えず、腎水は補陰薬では速やかに生成されない。人参は気分の薬であり、また陰分の薬でもあるため、 陽が生じれば陰も生じ、その元陽を救うことは、まさにその真陰を救うことである。 」 [傍注:人参は肺気を補う正薬である。腎は肺の子であり、腎水が尽きようとするときは必ず母に救いを求める。 人参は肺を補って水を生成するため、腎を救うには人参に頼るしかなく 、人参が腎に入ると言ってもよいだろう。腎気が生じなければ、絶は回復しがたい。ならば絶を救うことは、まさに腎を救うことである。ゆえに腎が絶に至らなければ、人参を用いる必要はない。腎が絶に至ったならば、人参を用いざるを得ない。] 続きを読む
本草新編25 人参8 2月 15, 2026 ある人が尋ねた。「喘脹の病気で、しばしば人参を使うと悪化することがあります。これは人参が気を動かす薬だからです。ああ!人参は喘息を鎮める神薬であり、脹満を取り除く仙薬なのに、どうして気を動かす薬だと言えるのでしょうか?」 夫(それ)喘息と腹部脹満の症状は異なります。外感による喘息もあれば、内傷による喘息もあります。外感による腹部脹満もあれば、内傷による腹部脹満もあります。 外感による喘息 は、風邪が肺に入ったものです。山豆根、柴胡、天花粉、桔梗、陳皮、黄芩の類を一服すればすぐに治り、人参で治せるものではありません。 もし 内傷による喘息 であれば、それは普段から脾胃の気が大いに不足しており、一時的に気が動き、相火を伴って喉に突き上げ、臍の下の気が上昇し、胸膈からまっすぐに突き上げて喘息を起こし、眠ろうとしても眠れず、歩こうとするとさらに悪化します。その状態は、肩を上げて声を出すような様子はありませんが、実際には外感の症状よりもはるかに重い。この病は気が元に戻らず、腎気が虚弱で尽き、下に身を隠す場所がないため、上に突き上げざるを得ません。 その気は盛んに見えますが、実際には虚弱であり、余剰の症状ではなく、不足の症状です。この時、もし外感の薬を使えば、気はさらに消耗し、 人参を使って瀕死の状態から回復させるしかありません。しかし、人参を少量使うと上に浮き上がり、かえって喘息を助長するように感じられます。一、二両まで使って初めて下に降り、何もない郷で気を生み出し、気が逆流を転じ、喘息を鎮めることができます。 外感による腹部脹満 は、水邪です。皮膚を押すと、泥土のようにねじれることがあります。牽牛、甘遂をそれぞれ二銭使って瀉せば、利水によって症状は治り、人参に頼る必要はありません。 もし 内傷による腹部脹満 であれば、水に似て非なるもので、脾胃の気が大いに虚弱であり、 虚脹 であって実脹ではありません。この時、もし水を治すようにすれば、気は脱し、腹部脹満はさらに悪化します。 人参を使って脾胃の気を健やかにするしかありません。しかし、急に人参を使うと、脾胃が弱すぎ、すぐに受け入れられず、かえって満腹感のような状態になります。長く使えば胃の気が開いて脾の気も健やかになり、徐々に人参を増やしていけば、満腹感は消え、腹部脹満も完全に解消されます。 誰が人参が喘息や腹部脹満を治さない... 続きを読む
本草新編24 人参7 2月 14, 2026 ある人が尋ねた。「人参が陽旺の陰を補えないというのは、まさに千秋の絶論である。しかし、私は陰を補う薬の中に、少量の高麗人参を加えるのは、差し支えないと思う。陰が陽を得て生まれやすくなるのではないか。どうだろうか?」と。答えて曰く、「これはまさに陰陽の微細なところを窺い、人参の効用を深く知っているのだ。しかし、人参を補陰の中に用いるだけで、補陰の中に人参を制しないと、火を動かす憂いがある。では、人参を制する方法はどうすればよいのか?」 人参が嫌うものは、五霊脂である。 五霊脂を細かく粉末にし、一分を用い、水に浸す。人参一銭を用いたい場合、それを五霊脂水の中に入れ、すぐに取り出し、他の陰薬の中に入れる。 そうすれば、陰を助けて水を生み出すだけで、決して陽を助けて火を生み出すことはない。 これはまた千秋に伝わらない秘法である!私は異人から授けられ、自ら試して効果があったので、天下に公表し、陽旺陰虚の客を共に救うものである。 続きを読む
本草新編23 人参6 2月 13, 2026 ある人が尋ねた。「人参は陽の薬であるから、陽を補うべきだが、今日では陰も兼ねており、陰も補うべきだと言われている。人参は陰陽を兼ね補う薬であるのに、なぜ陽の病に人参を用いると効果があり、陰の病に人参を用いると逆に良くないのか?」と。 答えて曰く、「 人参は陽が多く陰が少ない ことを知らないからだ。陽虚の者は陰も必ず虚し、陽旺の者は陰も必ず旺盛になる。陽虚を補うのに陽を補っても陰には差し支えない。ゆえに陽を補えば陽はその益を受け、陽を補えば陰もその益を受けるのだ。 陽旺の者が陽を補えば、さらにその陽を助け、陽は受け入れられず、必ず火盛の憂いがある。陽火が盛んになれば陰水は必ず衰え、陰水が衰えれば陽火はさらに盛んになり、補益の益もなく、どうして陰を補うことを期待できようか? ゆえに人参は陰を補えないというのは、そうではない。 人参は陽虚の陰を補うことはできるが、陽旺の陰を補うことはできない のだ。どうして人参が陽であって陰ではないと疑うことがあろうか。 続きを読む
本草新編22 人参5 2月 12, 2026 「 本草新編21 」までは「 漢方まんだら 」にて発表してきましたが、今後は本ブログ「 漢方/中医まんだら 」にて継続発表していきます。 人参5 ある人が尋ねた。「人参は純粋な品であるのに、なぜ邪を攻めるのに使うのか?」と。人参は邪を攻める聖薬であることを知らないのだ。 凡そ人の身に邪気が入るのは、皆、気が虚しているためであり、皮毛を外から守ることができず、その後、風、寒、暑、湿、熱、燥の六気が初めて侵入できるのである。 邪は虚から入り、邪を攻めるのに人参で気を補わずしてどうしてできるだろうか? しかし、人参を用いて邪を攻めるには、実際には方法があり、軽々しく用いるべきではない。邪が初めて侵入したときは、少量の人参を補助として用いるのが良く、邪が深く侵入したときは、多量の人参を主として用いるのが良く、邪が去ろうとするときは、専ら人参を主として用いるのが良い。多寡の間を斟酌し、前後の際を審量すれば、どうして人参を用いることができず、邪を攻めることができないと云えるだろうか?故に邪がその気を逼迫し、至陰の中に陥れたとき、人参なくしてどうして至陽の上に昇らせることができようか。 邪がその気を逼迫し、表裏の間に拒んだとき、人参なくしてどうして腠理の外に散らすことができようか。邪がその気を逼迫し、胸膈の上に逆らったとき、人参なくしてどうして膀胱の下に瀉すことができようか。 近頃の人は人参を用いるのを見ると、病家はまず驚き、病人がそれを知ると、死の不安を持ち、生の気を持たず、どうして効果が得られようか?誰が邪の集まるところ、その気は必ず虚していることを知っているだろうか。邪を攻める中に人参を用いることで、初めて万全を期すことができる。私はこれを語らずにはいられない、万世に人を活かすために。 [傍注:人参は邪を攻める薬ではないが、邪気が盛んで正気が虚している場合、邪を攻める薬に補助として加えれば、攻補両方が勝つことができる。邪が軽い者は、用いる必要はない。人が壮実である者は、用いる必要はない。ただ 邪の勢いが重く、人の気が虚している場合、攻薬の中に人参を加えるしかない。それは攻を助けるのではなく、その虚を補うためであり、虚を補えば邪は自ずと退くのである。 ] 続きを読む
ブログの開設 2月 12, 2026 昭和45年、30歳の時に氷見で漢方専門薬局を開業し、それから57年たちました。もう今年は米寿を迎えます。 昭和の年代はかなり自由に漢方薬局で処方が組めました。人口が多かった頃は顧客も多く、無我夢中の成壮年期を過ごしてきました。日本漢方から中医学への転換もありました。どっと流入してきた中医学書のなかで悪戦苦闘した毎日でした。みな楽しい思い出です。 しかし人口が減り、私の役割も終わったようです。2020年のコロナ流行時に薬局を閉鎖し、今は隠居生活を楽しんでいますが、出来得る限りは日本の漢方業界を応援していきたく思っています。 見渡す限り、漢方/中医学の世界は誠に悲しむべき実態で、今にも亡びそうです。「 このままでは日本の漢方・中医学は消えていってしまう! 」とばかり「 漢方/中医学 」のフェイスブックを立ち上げて奮闘努力をしていますが、寿命の尽きるまでの数年間を、こちらのブログで燃やしたいと思っています。 続きを読む