またある人が尋ねた。「火を補って土を生じさせれば、土は自ずと崩壊しない。水を補って火を生じさせ、水が氾濫しないようにするのは難しいのではないか?人参を補腎薬と一緒に用いれば、水に克って火を生じさせることができるのか?」と。
答えて曰く、「水は補って水を消すべきであり、水を制御して水を刺激すべきではない。水と火は離れられないものである。火を補って水を補わなければ、火は生じない。水を補い、さらに火を補えば、水は氾濫しない。水を補って火を生じさせるというのは、水の中で火を補うことである。人参を加えるのは、人参を補腎薬と併用すれば、人参も腎に入り、陽気が腎内に通じて火がさらに生じやすくなるためである。陰は陽がなければ成長せず、腎水は陽気を得て変化し、腎火は陽気に従って上昇する。しかし、人参は結局のところ脾を健やかにするものであるから、自然と火を腎から引き出して脾に入るだろう。火が脾に入れば、土は自ずと養われる。これは人参が水を助けて火を生じさせるのであって、水に克って土を生じさせるのではない。どうして水を補って水が氾濫することを疑う必要があろうか。
あるいは人参の効用を疑う者もいるが、それは一言では言い尽くせない。君の議論は尽きないが、私は議論が多くて成功が少ないことを恐れる。今の世は、人参を使うことを恐れるか、あるいは人参を乱用するかのどちらかである。恐れて使う弊害は、使うべき時に使わないという憂いがある。乱用する弊害は、使うべきでない時に使うという過ちがあり、この二つはどちらも人を殺すことができる。私が人参の効能を弁論するのは、恐れて使う者の胆力を増すためであり、人参の過ちを弁論するのは、乱用する者の心を誅するためである。しかし、功過を弁論する中で、過ちよりも功績が多いのは、天下万世に人参を善用させたいからである。その功績を言えば、その過ちを知ることができ、その過ちを戒めれば、その功績を収めることができる。
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