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本草新編30  人参13

ある人が尋ねた。「人参は陽の薬であるのに、なぜ陰の病に偏って用いられ、しばしば成功するのでしょうか?」先生は言った、「陰は陽なくしては生まれない、その通りだ。しかし、世の人はこれに固執して陰虚の病を治療するが、時には火がますます盛んになることがある。これは陰虚には人参を用いるべきではないという明らかな証拠ではないか?古人は『肺熱はさらに肺を傷つける』と言ったが、これは人参が肺の火を助けることができるという意味のようだ。」

曰く、「人参がどうして火を助けることができようか?人参はただ陽気を助けるだけだ。陰陽は気血に分かれるが、実際には気の中にも陰陽がある。陰気は陽気を得て初めて生まれ、陽気は陰気を得て初めて化する。陰陽の相根は、もともと気の中にあるのだ。人参が陽気を助けるのは十のうち七、陰気を助けるのは十のうち三である。補陰薬の中に少量の高麗人参を用いて陽気を生じさせれば、陽が生じて陰はますます盛んになる。もし補陰薬の中に多量の高麗人参を用いて陰気を生じさせれば、陽が生じて陰はますます損なわれる。故に、人参を用いて陰を補う場合は、少量を用いるべきであり、決して全く用いてはならないということではない。」

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ブログの開設

 昭和45年、30歳の時に氷見で漢方専門薬局を開業し、それから57年たちました。もう今年は米寿を迎えます。 昭和の年代はかなり自由に漢方薬局で処方が組めました。人口が多かった頃は顧客も多く、無我夢中の成壮年期を過ごしてきました。日本漢方から中医学への転換もありました。どっと流入してきた中医学書のなかで悪戦苦闘した毎日でした。みな楽しい思い出です。 しかし人口が減り、私の役割も終わったようです。2020年のコロナ流行時に薬局を閉鎖し、今は隠居生活を楽しんでいますが、出来得る限りは日本の漢方業界を応援していきたく思っています。 見渡す限り、漢方/中医学の世界は誠に悲しむべき実態で、今にも亡びそうです。「 このままでは日本の漢方・中医学は消えていってしまう! 」とばかり「 漢方/中医学 」のフェイスブックを立ち上げて奮闘努力をしていますが、寿命の尽きるまでの数年間を、こちらのブログで燃やしたいと思っています。

本草新編22 人参5

 「 本草新編21 」までは「 漢方まんだら 」にて発表してきましたが、今後は本ブログ「 漢方/中医まんだら 」にて継続発表していきます。 人参5 ある人が尋ねた。「人参は純粋な品であるのに、なぜ邪を攻めるのに使うのか?」と。人参は邪を攻める聖薬であることを知らないのだ。 凡そ人の身に邪気が入るのは、皆、気が虚しているためであり、皮毛を外から守ることができず、その後、風、寒、暑、湿、熱、燥の六気が初めて侵入できるのである。 邪は虚から入り、邪を攻めるのに人参で気を補わずしてどうしてできるだろうか? しかし、人参を用いて邪を攻めるには、実際には方法があり、軽々しく用いるべきではない。邪が初めて侵入したときは、少量の人参を補助として用いるのが良く、邪が深く侵入したときは、多量の人参を主として用いるのが良く、邪が去ろうとするときは、専ら人参を主として用いるのが良い。多寡の間を斟酌し、前後の際を審量すれば、どうして人参を用いることができず、邪を攻めることができないと云えるだろうか?故に邪がその気を逼迫し、至陰の中に陥れたとき、人参なくしてどうして至陽の上に昇らせることができようか。 邪がその気を逼迫し、表裏の間に拒んだとき、人参なくしてどうして腠理の外に散らすことができようか。邪がその気を逼迫し、胸膈の上に逆らったとき、人参なくしてどうして膀胱の下に瀉すことができようか。 近頃の人は人参を用いるのを見ると、病家はまず驚き、病人がそれを知ると、死の不安を持ち、生の気を持たず、どうして効果が得られようか?誰が邪の集まるところ、その気は必ず虚していることを知っているだろうか。邪を攻める中に人参を用いることで、初めて万全を期すことができる。私はこれを語らずにはいられない、万世に人を活かすために。 [傍注:人参は邪を攻める薬ではないが、邪気が盛んで正気が虚している場合、邪を攻める薬に補助として加えれば、攻補両方が勝つことができる。邪が軽い者は、用いる必要はない。人が壮実である者は、用いる必要はない。ただ 邪の勢いが重く、人の気が虚している場合、攻薬の中に人参を加えるしかない。それは攻を助けるのではなく、その虚を補うためであり、虚を補えば邪は自ずと退くのである。 ]

本草新編35  人参18

あるいは 陽明病 について尋ねる。譫語して潮熱を発し、脈は滑にして疾、明らかに邪気余りあり。 承気湯 を用いても大便なく、脈はかえって微渋にして弱に変わる。邪気盛んにして津液乾くにあらずや?邪気を攻めんとすれば正気益々虚し、正気を補わんとすれば邪気は未だ散ぜず。この際も人参を用いるべしや? ああ!人参を捨ててまた何をもって命を奪うべけんや?ただ人参を用いるも必ず生を保証するにあらず。法は人参一両、大黄一銭を用い、同煎してこれを治す。 大便を得て気が脱落せざる者は即ち生じ、然らざる者はその不死を信じるべからず。