あるいは人参は気を生じるものであるが、時には気を生じることができず、かえって気を破る、これはどういうことか、と問う。人参は気を生じて気を破らないものである、どうして気を破ることができようか。しかし、時には気を破るように見える病状があり、君の疑いはもっともである。しかし、気を破らないのに時には気を破るように見えるのは、その中に理由がある。
それは肺気が旺盛すぎるためである。肺気が旺盛であれば脾気も旺盛になり、肺気の旺盛は脾気の旺盛によって旺盛になる。人参を用いて気を助ければ、脾はますます旺盛になり、脾が旺盛になれば肺もますます旺盛にならないだろうか。すると咳や脹満の病状が増し、人々は人参が肺気を破ると考えるが、誰も人参が脾気を生じていることに気が付かない。脾はもともと肺を生じるものであり、気を助けて肺の不足を埋めれば、肺は益を受ける。気を助けて肺の過剰を生じさせれば、肺は損害を受ける。しかし、肺気は天下に過剰なものはなく、どうしてその不足を補うのにかえって過剰な現象が現れるのか。
それは肺の中に邪火があり散じることができないと、肺金の気を補うと、かえってこの肺金は克を受けるのである。ならば治療法は、その邪火を抑制し、かつその肺気を益すれば、自ずと人参の生を得て、人参の破を得ないだろう。またどうして人参を捨ててむやみに肺気を瀉すことができようか。
[傍注:人参は肺の中の正気を益し、肺の中の邪気を益さない、これも先人が未だ発しなかったことである。]
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