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本草新編9

十剤論2
二論、通剤。岐伯夫子は言った。「通は滞りを除去できる」。

あるいは皮膚を通し、あるいは経絡を通し、あるいは表裏を通し、あるいは上下を通し、あるいは前後を通し、あるいは臓腑を通し、あるいは気血を通す。

営衛の気を通すことは、すなわち皮膚を通すことである。筋骨の気を通すことは、すなわち経絡を通すことである。内外の気を通すことは、すなわち表裏を通すことである。肺腎の気を通すことは、すなわち上下を通すことである。膀胱の気を通すことは、すなわち前後を通すことである。脾胃の気を通すことは、すなわち臓腑を通すことである。陰陽の気を通すことは、すなわち気血を通すことである。

営衛を通すには、麻黄、桂枝を用いる。筋骨を通すには、木瓜、仙霊脾を用いる。内外を通すには、柴胡、薄荷を用いる。肺腎を通すには、蘇葉、防己を用いる。膀胱を通すには、肉桂、茯苓を用いる。脾胃を通すには、通草、大黄を用いる。陰陽を通すには、附子、葱、姜を用いる。

虚の中に通剤を用いる場合は、少量で軽くても差し支えない。実の中に通剤を用いる場合は、多量で重くても差し支えない。

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ブログの開設

 昭和45年、30歳の時に氷見で漢方専門薬局を開業し、それから57年たちました。もう今年は米寿を迎えます。 昭和の年代はかなり自由に漢方薬局で処方が組めました。人口が多かった頃は顧客も多く、無我夢中の成壮年期を過ごしてきました。日本漢方から中医学への転換もありました。どっと流入してきた中医学書のなかで悪戦苦闘した毎日でした。みな楽しい思い出です。 しかし人口が減り、私の役割も終わったようです。2020年のコロナ流行時に薬局を閉鎖し、今は隠居生活を楽しんでいますが、出来得る限りは日本の漢方業界を応援していきたく思っています。 見渡す限り、漢方/中医学の世界は誠に悲しむべき実態で、今にも亡びそうです。「 このままでは日本の漢方・中医学は消えていってしまう! 」とばかり「 漢方/中医学 」のフェイスブックを立ち上げて奮闘努力をしていますが、寿命の尽きるまでの数年間を、こちらのブログで燃やしたいと思っています。

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