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本草新編69 甘草2

 あるいは、中満症は甘を忌むという。甘草が人の膨満を助けることを恐れるからか?

中満が甘を忌むのは、甘草を忌むのではない。中満とは、気虚による中満である。気虚とは、脾胃の気が虚していることである。脾胃は甘を好むのに、どうして甘草を忌むのか?
甘草は性質が緩やかで、緩やかなため胃に入ってもすぐに脾胃の気には入らない。気が虚している者は、甘草の補益を得ても、急には受け入れられず、かえって膨満を増すように見えるが、それも一時的な膨満であって、長く続くものではない。ゆえに、中満の症には、かえって甘草を用いるべきである。

人参、茯苓、白朮などの薬を中満の中に導き入れ、脾胃の虚している者を虚させず、膨満している者を膨満させないようにする。
ただし、多用したり、単独で用いたりしてはならない。多用すれば膨満を増し、少量用いれば膨満を消す。単独で用いれば膨満を増し、併用すれば膨満を除く。誰が中満が甘草を忌むと言ったのか。

[傍注: 中満は甘草を忌むと言われるが、かえってこれを用いて成功している。薬はうまく使うべきであり、どうして甘草だけに限られようか?]

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 昭和45年、30歳の時に氷見で漢方専門薬局を開業し、それから57年たちました。もう今年は米寿を迎えます。 昭和の年代はかなり自由に漢方薬局で処方が組めました。人口が多かった頃は顧客も多く、無我夢中の成壮年期を過ごしてきました。日本漢方から中医学への転換もありました。どっと流入してきた中医学書のなかで悪戦苦闘した毎日でした。みな楽しい思い出です。 しかし人口が減り、私の役割も終わったようです。2020年のコロナ流行時に薬局を閉鎖し、今は隠居生活を楽しんでいますが、出来得る限りは日本の漢方業界を応援していきたく思っています。 見渡す限り、漢方/中医学の世界は誠に悲しむべき実態で、今にも亡びそうです。「 このままでは日本の漢方・中医学は消えていってしまう! 」とばかり「 漢方/中医学 」のフェイスブックを立ち上げて奮闘努力をしていますが、寿命の尽きるまでの数年間を、こちらのブログで燃やしたいと思っています。

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