あるいは、黄耆は気を補うのに、なぜ必ず当帰を助けて血を補うのか、気は血がなければ生まれないのか?と問うと、
答えて曰く:気は血を生み出すことができるが、血は気を生み出すことはできない。気を生み出すことはできないのに、気を補うには必ず血を補うのは、その助気を取るためではない。そもそも気虚の人は、血もそれに伴って消耗しないはずはない。
私が大量の黄耆だけを用いて気を生み出すと、気が旺盛になり血が衰え、血が気の余剰に配することができず、気は必ず血の不足を生み出し、かえって気の益を得られず、気の害を得てしまう。ゆえに気を補うには必ず血を補うことを兼ね施すべきである。
しかし、気虚のために気を補い、さらにその血を補うと、血が旺盛になり気が依然として衰えるのはどうすればよいのか?と問うと、
答えて曰く:血が旺盛になれば気は血を生み出すことに向かわない。ゆえに血を補えば気は自ずと旺盛になり、偏勝の憂いは不要である。しかし、気を多く補い血を少なく補うのは、非常に適切な調剤である。
[傍注:余すところなく闡明されている。]
コメント
コメントを投稿