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本草新編55 石膏15

 あるいは、青龍湯には大小の名称があるが、それは石膏の多寡によるのか?と問われた。

曰く、石膏は多く使うべきではないのは、小青龍湯に限ったことではない。小青龍が大青龍と異なるのは、処方に芍薬を使うことである。龍の性質は馴れにくいが、芍薬の酸収を得れば、石膏は上昇することができない。芍薬は石膏を抑制するためである。

[傍注:石膏が芍薬を得て抑制されることは、まだ誰も言及していない。]

例えば、小さな龍が初めて角を生やし、人を傷つけることを恐れて、頭を隠し尾を隠すので、小と名付けられる。世人は石膏の猛威を知っているが、芍薬を加えれば、石膏は恐れるに足らないことを誰が知っていようか。ただし、小青龍の石膏の使い方が適切でなければ、害を及ぼすこともあるが、大青龍のように抑制がないほどではない。

また、大青龍がそれほど横暴であるならば、なぜ芍薬を加えないのか?と問われた。曰く、これはまたできないことである。邪が営衛の間にある場合、陽明に入ろうとしているので、大青龍を緊急に使わなければ、雨を降らせて熱を散らすことはできない。もし芍薬の酸収を加えれば、風雲は出会うことができず、収斂が過ぎて、潤いが不足するだろう。これが仲景夫子が特に大青龍湯を制定し、雨で潤すようにした理由であり、単に涼しい風がそよぐだけではいけないのである。

[傍注:さらに人を引き込む。]

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ブログの開設

 昭和45年、30歳の時に氷見で漢方専門薬局を開業し、それから57年たちました。もう今年は米寿を迎えます。 昭和の年代はかなり自由に漢方薬局で処方が組めました。人口が多かった頃は顧客も多く、無我夢中の成壮年期を過ごしてきました。日本漢方から中医学への転換もありました。どっと流入してきた中医学書のなかで悪戦苦闘した毎日でした。みな楽しい思い出です。 しかし人口が減り、私の役割も終わったようです。2020年のコロナ流行時に薬局を閉鎖し、今は隠居生活を楽しんでいますが、出来得る限りは日本の漢方業界を応援していきたく思っています。 見渡す限り、漢方/中医学の世界は誠に悲しむべき実態で、今にも亡びそうです。「 このままでは日本の漢方・中医学は消えていってしまう! 」とばかり「 漢方/中医学 」のフェイスブックを立ち上げて奮闘努力をしていますが、寿命の尽きるまでの数年間を、こちらのブログで燃やしたいと思っています。

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