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本草新編54 石膏14

 あるいは、白虎湯は先生によって解明され、微に入り細に入り、不明な点はないが、石膏が大小青龍湯に使われることについてはまだ議論されていない。白虎は人を殺すことができるが、青龍はそうではないのか?と問われた。

曰く、龍の性質は馴れにくく、不適切に使えば、人を殺すことは白虎と同じである。同じ石膏なのに、どうして龍と虎に分けて呼ばれるのか、それは人がどう使うかによるのである。
熱散の中に使えば青龍と名付けられ、寒散の中に使えば白虎と名付けられる。
石膏は非常に冷たいので、熱の中に使えば熱を解し、その冷たさを恐れることはない。寒の中に使えば、冷たすぎ、熱を退けることはできるが、常にその変化を生じる。白虎湯の方が青龍よりも猛烈であるように思える。

[傍注:絶妙な論であり、また絶奇な論である。]

しかし、邪が胃にある場合は、白虎でなければ熱を解することはできない。邪がまだ胃に入っておらず、胃に入ろうとしている場合は、青龍でなければ熱を解することはできない。ただし、石膏は桂枝、麻黄を得て、上昇する勢いが強いので、青龍湯の中では少量でなければならず、多く使うべきではない。白虎湯の中では、石膏を増量できるのとは異なる。

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ブログの開設

 昭和45年、30歳の時に氷見で漢方専門薬局を開業し、それから57年たちました。もう今年は米寿を迎えます。 昭和の年代はかなり自由に漢方薬局で処方が組めました。人口が多かった頃は顧客も多く、無我夢中の成壮年期を過ごしてきました。日本漢方から中医学への転換もありました。どっと流入してきた中医学書のなかで悪戦苦闘した毎日でした。みな楽しい思い出です。 しかし人口が減り、私の役割も終わったようです。2020年のコロナ流行時に薬局を閉鎖し、今は隠居生活を楽しんでいますが、出来得る限りは日本の漢方業界を応援していきたく思っています。 見渡す限り、漢方/中医学の世界は誠に悲しむべき実態で、今にも亡びそうです。「 このままでは日本の漢方・中医学は消えていってしまう! 」とばかり「 漢方/中医学 」のフェイスブックを立ち上げて奮闘努力をしていますが、寿命の尽きるまでの数年間を、こちらのブログで燃やしたいと思っています。

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