十剤論7
七論、滑剤。岐伯夫子曰く、「滑は着を去るべし」。邪が腸胃の間に留まり、急に化すことができない場合、滑剤でなければ、どうして速やかに利することができるだろうか。しかし、ただ滑らせるだけでは正に益がない。その気を潤して滑らせる者、その血を潤して滑らせる者、その気血を潤して滑らせる者がいる。
物が上焦に詰まり、上ろうとしても上れない場合、その気を潤せば咽喉は自ずと滑らかになる。食が下焦に留まり、下ろうとしても下れない場合、その血を潤せば肛門は自ずと滑らかになる。滞穢が中焦に積もり、上ろうとしても上れず、下ろうとしても下れず、中に留まろうとしても留まれない場合、その気血を潤せば胸腹は自ずと滑らかになる。
滑の法は三つに尽きるが、滑の変化は三つにとどまらない。その水を補って滑らせる者、その火を補って滑らせる者がいる。水を補うとは、腎中の真水を補うことである。火を補うとは、腎中の真火を補うことである。真水が足れば大腸は自ずと潤い、真火が足れば膀胱は自ずと通じる。
膀胱が火を得て通じないのは、膀胱の邪火である。膀胱に火があれば水は渋るが、膀胱に火がなくても水は渋る。膀胱の水は、必ず命門の火と相通じて、初めて膀胱は流通の楽しみを得る。そうであれば、火を補うことはまさに水を滑らかにするのであり、滑らかにする剤ではないと言えるだろうか。
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