十剤論5
五論、軽剤。岐伯夫子曰く、軽きは実を去るべし。夫の実とは、邪気が実であって正気が実ではない。邪気の実には、重剤を用いて実を去るべきであるように思われる。誰が知ろうか、邪実の者には、邪を去る薬を用いると、薬が重ければ重いほど邪はかえって変化しやすく、薬が軽ければ軽いほど邪はかえって留まりにくい。
人は邪実を見て桂枝を多く用いると、かえって無汗の憂いがあり、人は邪実を見て麻黄を多く用いると、また亡陽の失がある。二味を少し用いるに如かず、正気は損なわれずして邪は尽く解ける、これ軽剤の妙なり。
邪が軽ければ薬は軽くてもよいが、邪が重い者にも軽くてもよいのかと問う。曰く、邪を治す法は、薬が適切であるかどうかにかかっているだけであり、適切に用いれば邪は自ずと出ていく、もとより薬の軽重には関係ない。
あるいは邪気がすでに重いのに、どうして軽剤がかえって邪を去りやすいのかと疑う。蓋し邪が初めて人の身に入るとき、その勢いは必ず広がり浮き、人の虚に乗じてから深く入り込む、ゆえに邪を治すには軽くすべきで重くすべきではない。もし邪を治すのに急に重剤を用いると、往々にして軽きを重きに変え、浅きを深きに変え、速やかに癒えない。どうしてまず軽剤を用い、浮泛の薬で少しずつ発散させ、深く入り込まないうちに、除去する方が容易で得策ではないだろうか。
あるいは、軽い薬で邪気を散らすと、邪気が重い者でも散らすことができる。これは、邪気を散らすのは薬の味の軽さにあるのであって、薬の量の軽さにあるのではないようだ。
曰く、薬の味が軽い者は、薬の量も重くする必要はない。味が軽ければ軽いほど邪気は散りやすく、量が重ければ重いほど邪気は解けにくくなるからである。
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